キーワード【倶利伽羅】で検索した結果

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津幡城跡
 津幡城跡は津幡川の右岸、かつての宿場町、津幡宿があった旧北陸道を見下ろす小高い丘陵地にあります。ここは津幡小学校旧校舎の敷地内だったため、残念ながら遺跡はほとんど残っていませんが、標高15メートルの.....続きを見る>>

津幡城跡
河合見風句碑
 かつて津幡城がそびえていた、旧北陸道を見下ろす標高15メートルの小高い大西山に、俳人河合見風(かわい・けんぷう)の句碑が建っています。その隣には、見風自身が尽力した歌人の「為広(ためひろ)塚」も建っ.....続きを見る>>

河合見風句碑
【夏】寺尾夏まつり
 毎年8月中旬に、源平の郷・倶利伽羅で夏まつりが開催されます。源氏太鼓や源平騎馬戦など、木曽義仲が勝利した倶利伽羅源平合戦にちなんだ催し物が行われます。  伝統芸能「源氏太鼓」は、倶利伽羅合戦の大勝.....続きを見る>>

【夏】寺尾夏まつり
【秋】河合谷御山神社秋祭り
 毎年9月上旬に、津幡町河合谷の御山神社の秋祭りで獅子舞競演が披露されます。  加賀獅子の流れを汲む下河合区報徳会の「にらみ獅子」、獅子と棒振りが一体となって踊るように舞う、越中獅子の流れを汲む上河.....続きを見る>>

【秋】河合谷御山神社秋祭り
木窪の宮谷
 津幡町河合谷地区の牛首(うしくび)区からさらに山あいに入って行くと、牛首同様、平家伝説が残る木窪(きのくぼ)区があります。同集落には宮谷(みやだん)・宮地(みやぢ)・宮山(みややま)・堂屋敷(どうや.....続きを見る>>

木窪の宮谷
御膳石
 津幡町河合谷地区の瓜生(うりゅう)区にはその昔、瓜生を通って氷見に行く道「氷見往来」があり、宿駅(しゅくえき=街道沿いの集落で、旅人を泊めたり、荷物を運ぶための人や馬を集めておいた宿場のこと)「瓜生.....続きを見る>>

御膳石
山王神社の老杉
 津幡町英田(あがた)地区の能瀬区にある日吉神社は、古くは「山王さん」と呼ばれ、1587(天正15)年8月に内灘の小濱(おばま)神社より遷座(せんざ=神仏の座を他の場所に移すこと)されました。同神社の.....続きを見る>>

山王神社の老杉
立の宮の杉
 津幡町笠谷地区の杉瀬(すぎのせ)区に、かつて7軒の民家があった、通称「七ッ屋(ななつや)」と呼ばれる地区があります。この七ッ屋にある立の宮(たちのみや)神社には、豊臣秀吉(とよとみ・ひでよし)にまつ.....続きを見る>>

立の宮の杉
倉見鉱泉
 津幡町笠谷の温泉施設「ウェルピア倉見」は、1874(明治7)年に開湯した倉見鉱泉を利用しています。同敷地内の駐車場脇にある源泉の傍らには、源泉を守るかのように小さな祠(ほこら)が建っています。赤黒い.....続きを見る>>

倉見鉱泉
杉瀬墓地の三十三観音
 江戸時代末期に倶利迦羅不動寺までの道標と旅人の安全を祈願して、倶利伽羅峠の沿道に三十三観音像が安置されていました。そのうちの3体は、杉瀬集落の旧北陸道沿いに安置されていました。明治初年の神仏分離令に.....続きを見る>>

杉瀬墓地の三十三観音
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