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七野墳墓群
津幡町倶利伽羅地区の竹橋(たけのはし)区にある倶利迦羅不動寺西之坊鳳凰殿(にしのぼうほうおうでん)の裏山に、七野墳墓群(しちのふんぼぐん)があります。全12基から成る弥生時代末期の遺跡で、2・3・4.....続きを見る>>
御手洗の池
津幡町倶利伽羅地区の北横根区に、聖徳太子にまつわる伝説が残る「御手洗池(みたらしいけ)」があります。この池にはかつて、聖徳太子像が石棺に入れて水中に沈められていました。像は現在、砺波市宮村の景完教寺.....続きを見る>>
教願寺梵鐘
津幡町倶利伽羅地区の竹橋(たけのはし)区に、梵鐘(ぼんしょう)で有名な教願寺(きょうがんじ)があります。かつての竹橋宿は、加賀藩の参勤交代の宿場町として栄え、村の真ん中を歴史国道「北陸道」が走ってい.....続きを見る>>
一騎討ち跡
歴史国道「北陸道」の難所の1つである「前坂」を抜けて、さらに先を進むと、街道は尾根に沿って伸びています。城ヶ峰(じょうがみね)とも呼ばれる龍ヶ峰(りゅうがみね=標高194メートル)から400メートル.....続きを見る>>
猿ヶ馬場の祠
津幡町倶利伽羅地区の原区に、倶利伽羅山頂の猿ヶ馬場(さるがばば)に建つ「猿ヶ堂(さるがどう)」にまつわる伝説が残っています。
その昔、原に甚兵衛(じんべい)という子供のいない炭焼きの夫婦がいまし.....続きを見る>>
まませ坂
歴史国道「北陸道」の竹橋(たけのはし)口から最初の難所「前坂(まえさか)」を抜けると、峰沿いの北陸道から山麓の原村に通じる山道がありました。この山道は下り坂で、その昔、稼ぎから帰る村人が集落に向かっ.....続きを見る>>
八幡神社の黄金像
津幡町中条地区の南中条にある八幡神社は、北中条の三輪神社同様に、IR津幡駅裏手の小高い山の中腹から、集落を見下ろすように建っています。同神社の祭神は、誉田別命(ほむたわけのみこと)・気長足姫尊(おき.....続きを見る>>
洲ざき家の芭蕉句碑
※洲ざき家の「ざき」は、「崎」の大が立の漢字です。
津幡町太田の旧北陸道沿いにある洲(す)ざき家の庭には、俳聖(はいせい)松尾芭蕉の句碑が建っています。句碑の正面には、1698(元禄11)年に発刊.....続きを見る>>
三輪神社の石地蔵
津幡町中条地区の北中条にある三輪神社は、南中条の八幡神社同様に、JR津幡駅裏手の小高い山の中腹から、集落を見下ろすように建っています。古来、井上郷17村の総社として仰がれ、加賀藩前田家の崇拝が熱く、.....続きを見る>>
加賀神社
津幡町中条地区の潟端(かたばた)区にある加賀神社は、加賀藩5代藩主前田綱紀(まえだ・つなのり)を祀(まつ)った神社で、かつては津幡町内における最高社格(県社)を有していました。同神社の祭神は、健御名.....続きを見る>>