加賀神社

加賀藩5代藩主前田綱紀を祀った「加賀神社」

加賀藩5代藩主前田綱紀を祀った「加賀神社」

 津幡町中条地区の潟端(かたばた)区にある加賀神社は、加賀藩5代藩主前田綱紀(まえだ・つなのり)を祀(まつ)った神社で、かつては津幡町内における最高社格(県社)を有していました。同神社の祭神は、健御名方命(たけみなかたのみこと)・八坂刀売命(やさかとめのみこと)・誉田別命(ほむたわけのみこと)、そして、綱紀公です。
 綱紀公によって、1673(延宝元)年から河北潟縁の干拓(かんたく)が着手され、潟端新村が立村された時、干拓事業の成功を祈願して諏訪神社が建立されました。1909(明治42)年に加賀神社と名前を変え、1915(大正4)年に県社となりました。加賀神社の境内後部には、諏訪神社跡地が残っています。
 同神社には、綱紀公直筆の絵画や古文書、手紙、書状などを所蔵しており、津幡町指定文化財となっています。また、開墾の際に綱紀公が記念に植樹したシイノキの大木が、近くの民家の庭に今も残っています。
「百八坂」で有名な倶利伽羅権現石殿は、綱紀公によって建立されました。
◆寒梅に小鳥の図
1963(昭和38)年8月1日 津幡町文化財(絵画)指定
松雲公(5代藩主前田綱紀)の御筆と言われています。長さ1.9メートル、幅0.56メートル
◆野馬の図
1963(昭和38)年8月1日 津幡町文化財(絵画)指定
松雲公(5代藩主前田綱紀)の幼少の頃の作と伝えられ、上部に綱紀の書物役(かきものやく)を務めた山本基庸の和歌「おのれらや はなれもやらぬ 若草に 人はつながぬ 野辺の言駒」があります。長さ1.5メートル、幅0.36メートル
◆古文書
1963(昭和38)年8月1日 津幡町文化財(古文書)指定
松雲公(5代藩主前田綱紀)に関する書簡(手紙・書状)を主としており、アルバム式に1〜15号及び号外1冊に分類されています。その中には、水戸光圀より加賀守(かがのかみ)に宛てたものもあります。
◆松雲公御筆
1963(昭和38)年8月1日 津幡町文化財(書籍)指定
松雲公(5代藩主前田綱紀)の直筆で、「見事な松をいただき心から深く感謝します。明日の会合に座敷に飾れば一段ともろもろの情緒があふれ、大変結構と思います」と解読される、返礼の一通です。
◆利長公御筆
1963(昭和38)年8月1日 津幡町文化財(書籍)指定
加賀藩2代藩主前田利長公の直筆で、「見事な柿をいただき満足しております」と解読される、礼状です。

所在地 〒929-0346 石川県河北郡津幡町字潟端ト10
お問い合わせ先 加賀神社
電話番号 076-288-2562
ホームページ
アクセス IR津幡駅から「津幡駅前」交差点を曲がらずに直進し、次の「南中条」交差点を左折し、旧北陸道の町道に入ります。右手に見える中条公民館を過ぎてしばらく行くと、右手に「加賀神社」の社号標が見えます。そのT字路を右折し、国道8号線(津幡バイパス)の高架下を抜け、潟端集落に入ります。しばらく行くと、右手に「加賀神社」が見えます。



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