三輪神社の石地蔵

三輪神社境内の翁面の伝説が残る地蔵尊

三輪神社境内の翁面の伝説が残る地蔵尊

 津幡町中条地区の北中条にある三輪神社は、南中条の八幡神社同様に、JR津幡駅裏手の小高い山の中腹から、集落を見下ろすように建っています。古来、井上郷17村の総社として仰がれ、加賀藩前田家の崇拝が熱く、3代藩主利常夫人の天徳院(てんとくいん=珠姫)が1613(慶長18)年に社殿を建立し、翌年、能を奉納されました。同神社の祭神は、大物主命(おおものぬしのみこと)・菊理媛神(くりひめのかみ)・経津主命(ふつぬしのみこと)・武甕槌神(たけみかづちのかみ)・天児屋根命(あめのこやねのみこと)・比売神(ひめのかみ)・倉稲魂命(うがのみたまのみこと)・大山咋命(おおやまくいのみこと)です。本殿裏には龍神池があり、その手前には翁(おきな)面の伝説にまつわる地蔵尊が祀られています。
 現在の河原市用水の流れる所に玉橋があり、その前に境内を清掃する番人がいました。ある日、その番人がいつものようにうす暗いうちに起き、境内の松の大木を見上げると、翁の面が枝に掛かっていました。番人はホウキでこれを落して番小屋に持ち帰ったところ、この翁の面が毎夜静かな境内の中で、何ともいえない冴えた美しい声で謡を歌い続けたのです。そこで、藩主にこれを献上したところ、絵巻物を添えて永く神社の宝とするように命じられました。
 また、ある時のことです。近江の国の者が日本海を航行中、大暴風雨に出会い、船は大海に漂流しました。人々はさかまく大波にもまれながら、一心に神仏に祈り続けたところ、天の一角に旗幟(のぼりばた)のようなものが、ひるがえって見えました。一同は手を取り合って喜び、互いに励まし合ってその方向に漕ぎつけ、偶然にも大根布(内灘町)の海辺に漂着することができました。後にその旗幟のように見えたのは、翁の面の掛かっていた三輪神社の松の大木(神木)であることがわかり、一同は感謝の意味を込めて舟型の石地蔵を寄進したそうです(中条地区の伝説「三輪神社の神木」の話より引用)。
 この神木は幹廻り6メートルもある大木でしたが、残念ながら1894(明治27)年9月27日の台風で倒れてしまい、現在は残っていません。
 一説によると、同神社の山手、「王城(おうじょう)」という所で、木曽義仲(きそ・よしなか)が倶利伽羅の源平合戦に勝利した後、休養のために数日間、滞在したと伝えられています。その山間部には、義仲が喉を潤したとされる滝水が残っています。

所在地 〒929-0342 石川県河北郡津幡町字北中条サ2乙
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アクセス IR津幡駅から「津幡駅前」交差点を左折し、県道59号線に入ります。しばらく行くと、「津幡検問所前」交差点に出るので、その三差路を左折します。そのまま県道215号線を倶利伽羅方面に進み、最初に八幡神社が右手に見えます。そこを過ぎてしばらく行くと、右手に「三輪神社」の社号標が見えます。境内に続く坂道を上っていくと、鳥居前に駐車場があります。



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