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友碇関の碑

ページID:0009848 更新日:2025年12月1日更新 印刷ページ表示

友碇関は領家区の北隣り、かほく市(旧宇ノ気町)指江の人であるが、領家地内(旧宇ノ気町多田区の境界付近)の県道沿いに南向きに建てられている。明治40年、金津村と西英村が合併して宇ノ気村となったが、それ以前は指江・多田・狩鹿野・気屋・上山田・下山田の6地区が西英村であった。一方、領家・能瀬・御門・下矢田などの各地区は東英村を形成していた。友碇はこの両村内の草相撲で活躍したことは推測にかたくないが、建立位置やその向きを考えると、能瀬の願慧寺の法楽相撲が行われた相撲場を意識しているようにもみられる。
 明治40年、大正天皇が皇太子の時、能登へ行啓なられた。そのおり、唐戸山相撲場へお越しになり、友碇(上山)と今碇(下山)の取り組みをご観覧されている。
  なお、古老の言によれば、当石碑前の水田に特設の相撲場が設営され、そこで友碇関の花相撲が行われたという。