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河合見風句碑

ページID:0006347 更新日:2025年2月26日更新 印刷ページ表示

かつて津幡城がそびえていた、旧北陸道を見下ろす標高15メートルの小高い大西山に、俳人河合見風(かわい・けんぷう)の句碑が建っています。その隣には、見風自身が尽力した歌人の「為広(ためひろ)塚」も建っています。
見風は1711(正徳元)年に津幡宿の商家に生まれ、名前は河合屋理右衛門(かわいや・りうえもん)といいました。34歳で家業の旅籠(はたご)と米屋を営み、居村(いむら)組合頭を勤め、その傍ら、俳諧(はいかい)を学び、人々から「俳諧の長者」と称えられていました。また、諸国の俳人と広く文通し、金沢の並木町に庵室を構え、加賀八家(かがはっか)前田土佐守直躬(まえだ・とさのかみなおみ)と親交を持ちました。
見風は倶利伽羅山の猿ヶ馬場(さるがばば)にある芭蕉の句碑「寝覚塚(ねざめづか)」や越中氷見の「有磯塚(ありそづか)」を建て、1765(明和2)年には為広の子孫、冷泉為村(れいぜい・ためむら)と前田土佐守直躬とともに「為広塚」を再建しました。
1783(天明3)年に73歳でその生涯を閉じた見風を偲(しの)んで、1967(昭和42)年4月に、津幡俳壇によって句碑が建てられました。句碑には「はつなすび それから花の さかりかな 見風」が刻まれています。
加賀八家:加賀藩の家老で、1686(貞享3)年、5代藩主前田綱紀の時、藩の職制改革の際に定められた。江戸時代を通じて世襲し、加賀藩の執政を務めた。

 

【長寿庵】
見風の屋敷はかつての津幡宿だったおやど橋の近くにありましたが、その屋敷跡には現在、酒井家所蔵の「長寿庵」が建っています。通りから見える正門は、幅4.3メートルの武家屋敷門で、昭和初期に復元改築されました。伝統的な日本家屋と日本庭園は現在、茶室として使われているそうです。この正門と家屋は、江戸時代の加賀藩の豪商、木屋藤右衛門(きや・とうえもん)の粟崎(あわがさき)居宅から移築したものです。(「長寿庵」は個人所蔵のため、室内や庭園の見学はできません。)
見風の生家、河合屋理右衛門(かわいや・りうえもん)家は旅籠(はたご)と米屋を営み、本陣御旅屋(おたや)に次ぐ、間口と門構えを許された町人だったそうです。代々、十村肝煎(とむらきもいり)や加賀爪村肝煎を勤める名家でした。当時の面影を残すおやど商店街には、商家「八尾屋(やつおや)」の古民家も残っています。
十村肝煎:他藩でいう大庄屋に相当するもので、加賀藩の村支配を代行する村役人組織の頂点に立つ役職。