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峨山禅師生誕地

ページID:0006471 更新日:2025年2月26日更新 印刷ページ表示

曹洞宗の高僧、峨山禅師(がざんぜんじ)の生誕地である津幡町河合谷地区の瓜生(うりゅう)区には、禅師の碑が建つ「峨山園」があります。禅師は1275(建治元)年、同集落に生まれ、16歳の時に比叡山に登りました。天台宗(てんだいしゅう)の教えを究めた後に、24歳で山を降り、大乘寺(だいじょうじ=金沢市)第2代の瑩山紹瑾(けいざんじょうきん)禅師に学び、曹洞宗(そうとうしゅう)に転宗しました。
峨山禅師は、1324(正中元)年に開祖螢山禅師の後を継ぎ、總持寺(そうじじ=輪島市門前町)祖院第2代となりました。1340(暦応3)年から20年余年、永光寺(ようこうじ=羽咋市)の住職を兼務したことから、毎日永光寺で早朝に朝のお勤めを終えて、總持寺まで15里(約60キロ)の山道を走り、両寺の朝のお勤めをされたと伝えられています。この山道は「峨山道」と呼ばれ、その遺徳を偲(しの)んで、毎年春(4月第3土・日曜日)と秋(9月12・13日)に永光寺を出発し、總持寺祖院までの13里(約52キロ)の山道を2日間で歩く「峨山道巡行」が行われています。
1366(正平21)年に91歳でその生涯を閉じるまで、禅師は總持寺を曹洞宗の大本山として隆盛させ、「大源・通幻・無端・大徹・実峰」の峨山五哲(禅師の優れた弟子)を始め、多くの傑僧を育てたほか、1万4千余の末寺建立の基礎を作りました。
禅師の高い徳を敬い、1925(大正14)年にその生誕地、瓜生に顕彰碑(けんしょうひ=功績や善行などを称えるために立てられる石碑)が建てられました。毎年6月23日には、碑の前で禅師の功績を偲んで生誕祭が行われます。
◆1963(昭和38)年5月10日 津幡町文化財(史跡)指定