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立の宮の杉

ページID:0006429 更新日:2025年2月26日更新 印刷ページ表示

津幡町笠谷地区の杉瀬(すぎのせ)区に、かつて7軒の民家があった、通称「七ッ屋(ななつや)」と呼ばれる地区があります。この七ッ屋にある立の宮(たちのみや)神社には、豊臣秀吉(とよとみ・ひでよし)にまつわる天狗伝説が残る大杉が立っています。
この大杉は高さ20メートル、幹周り5.7メートルを誇る巨木で、樹齢950年といわれています。1585年(天正13年)、豊臣秀吉が越中の佐々成政(さっさ・なりまさ)を討った時、立の宮の杉に馬をつないだところ、馬があまり勇むので見上げると、杉の木の頂きに天狗を発見しました。その縁起の良さに(戦いの必勝を喜び)、馬を傍らの塚につなぎかえたと伝えられています(笠谷地区の伝説「立の宮の杉」の話より引用)。
大杉の傍らには、2010年に村の有志によって寄進された、立の宮神社の祠(ほこら)が建っています。代々、山本家が神社を守ってきましたが、後継者の都合で世話ができなくなったため、今は七ッ屋第3班で同神社を管理しています。
七ッ屋を含む杉瀬区は歴史が古く、かつては豊臣秀吉が前田利家(まえだ・としいえ)の陣中見舞いに訪れた際に、陣を取ったとされる太閤山(たいこうやま)があります。加賀藩の時代には、十村(とむら)として栄えた瀬尾家や、その城代家老の吉尾家の邸宅がありました。また、太閤山の麓にある杉瀬墓地には、倶利伽羅峠の沿道から移された三十三観音のうち、3体がここに安置されています。
十村:他藩でいう大庄屋に相当するもので、加賀藩の村支配を代行する村役人組織の頂点に立つ役職。