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津幡町井上地区の川尻区にある医師(くすし)神社には、その名の通り、神社にまつわる伝説が残っています。同神社の祭神は、大己貴命(おおなむちのみこ)・少彦名命(すくなびこなのみこと)です。
今から約400年ほど昔、川尻地区に疫病が流行して、村人が次々と死んでいきました。ある時、信心深い徳右衛門という人が田を耕していると、鍬の先に血が付いてきました。不思議に思って鍬の当たった所を掘り起こすと、木コロの化石が現われ、鍬(くわ)の当たった所から血が流れ出ていました。驚いた徳右衛門はその木コロを持ち帰り、村人とともに朝夕礼拝したところ、疫病がたちまち収まりました。
それ以来、村の中央に小さな祠(ほこら)を建て、病除けの神様として祀(まつ)るようになりました。この木コロの発見された8月24日をお祭りの日と定め、名前を医師神社と名付け、村の氏神様として敬われるようになりました(井上地区の伝説「医師神社」の話より引用)。
神社には洞庭西坡の絵馬があり、鳥居脇には近郷近在の若衆が力自慢を競った盤持石(ばんぶちいし)6個(22〜56貫)が今も残っています(一貫=約3.75キロ)。
津幡川下流に位置することから川尻と呼ばれ、かつては津幡川と河北潟を行き交う船着場がありました。