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庭田次平の碑

ページID:0006384 更新日:2025年2月26日更新 印刷ページ表示

津幡駅前ロータリーに、同駅開設に尽力した庭田次平(にわた・じへい)の顕彰碑(けんしょうひ=功績や善行などを称えるために立てられる石碑)が建っています。次平は1858(安政5)年に津幡南中条で生まれ、幼名を駒太郎といいました。1884(明治17)年に河北郡太田村戸長(中条・井上12地区の長)となり、1886(明治19)年には県議会議員となりました。市町村制が施行された1889(明治22)年、初代の中条村長になりました。
1898(明治31)年に北陸線が金沢から富山まで延長されようとした時、停車場として自分の敷地を無償で提供し、南中条に津幡駅を設置したのを始め、殖産興業に力を注ぎました。山野を開拓して桑の苗を植え、銅山(河内村口直海鉱山=かわちむらくちのみこうざん)を開き、羽二重の製造と輸出に努めるなど、多方面において数々の実績を残しました。
1902(明治35)年に衆議院議員となりましたが、同年、議会の解散に遭い、再び出馬を準備中に病に倒れ、翌1903(明治36)年にその生涯を閉じました。彼の功績を称えて、同年、津幡駅前に石碑が建てられました。石碑の碑文は篆書(てんしょ)で、当時、全国的に名を馳せた石川県の書家、傑僧である北方心泉(きたがた・しんせん)の筆によるものです。