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斉藤不染の碑

ページID:0006382 更新日:2025年2月26日更新 印刷ページ表示

津幡町中条地区の潟端(かたばた)区の集落入口に、村の窮状を救った斉藤不染(さいとう・ふせん)の顕彰碑(けんしょうひ=功績や善行などを称えるために立てられる石碑)が建っています。不染は1832(天保3)年に津幡町潟端で生まれ、名前は弥吾良(やごりょう)といい、1892(明治25)年に不染と改名しました。書は志頭磨流(しずまりゅう)を学び、松石と号し、漢籍(かんせき=中国の書物)を読み、仏教を深く信仰し、村人を教え導いていきました。
1856(安政6)年の長雨で河北潟が冠水した時は、稲田が腐敗し、秋に疫病が流行しました。この惨状を救うため、不染は自分の米蔵の米を村人に分け与え、藩に願い出て救済の手段を取りました。また、南中条の八幡神社横から井戸水を引き、潟端集落の20数戸に飲料用として配水し、細く曲がっていた潟端・南中条間の道路を車が通れるように改修しました。
1900(明治33)年3月にその功を記念し、石碑が建てられました。1905(明治38)年、72歳でその生涯を閉じました。