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矢田我柳句碑

ページID:0006373 更新日:2025年2月26日更新 印刷ページ表示

津幡町津幡地区の庄区にある住吉神社には、俳人矢田我柳(やた・がりゅう)の句碑が建っています。我柳は1812(文化9)年に津幡町庄の造り酒屋、矢田与三吉の3男として生まれ、名前は吉五郎といいました。
俳諧(はいかい)を金沢の桜井梅室(さくらい・ばいしつ)に学び、我流、一水庵、蒼雪、見風舎などと号しました。また、和歌を京都の冷泉為理(れいぜい・ためただ)卿に師事し、和歌の雅号は豊風と名乗っていました。
各地の俳人、歌人と交わり、風流を極め、1879(明治12)年に67歳でその生涯を閉じました。著書に「ともふえ集」「わら盆子」などがあります。1985(昭和60)年6月には、我柳を偲(しの)んで津幡俳壇によって句碑が建てられました。句碑には「梅さくや 鳥居をくゞる 朝こゝ路 我流」が刻まれています。
句碑が建つ住吉神社は、津幡町から能登に向かう旧北陸道沿いにあり、小高い山の中腹から集落を見下ろすように建っています。創立年代は不詳ですが、祭神は綿津見神(わたつみのかみ)です。この神が石に化し、津幡川を流れるかぶらの葉に乗って流れ着いた地に建立しとされる住吉神社が、津幡町井上地区の川尻区にあります。