ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
現在地 トップページ > 津幡町観光協会 > おまん伝説

本文

おまん伝説

ページID:0006296 更新日:2025年2月25日更新 印刷ページ表示

津幡町倶利伽羅地区の北横根区に、町おこしに一役買っている津幡町特産「おまん小豆の里」のモニュメントが建っています。おまん小豆は1粒の大きさが4ミリ程度と小粒で、表面は黒く中身が乳白色で、古代小豆といわれています。秋には1つの房に4、5粒が結実し、種子を飛散する力が強いのが特徴です。おまん小豆が自生する同区など小矢部市との県境の山間部では、小豆の名の由来となったおまん伝説が残っています。
藩政期に西砺波郡埴生村のため池「埴生の大池」の堤防が崩れて、付近の田んぼが水没し、家まで流される大災害が相次ぎました。当時、埴生村大字綾子村の村役だった八十嶋家のお手伝いとして働いていたおまんという娘が、この決壊を食い止めようと、堤防工事で人柱(ひとばしら=工事の無事を祈るため、建造物の基礎に生贄として埋められる人)となりました。以来、決壊はなくなり、無事に米が収穫できるようになりました。おまんが生前に腰にぶら下げていた籠から小豆が落ちて大池の縁に自生したいわれ、農民たちはこの小豆に娘の姿を重ね合わせ、感謝を込めて「おまん小豆」と呼ぶようになったといわれています。倶利迦羅不動寺境内には、おまんを偲(しの)ぶ地蔵が安置されています。
おまん小豆には活性酸素を除去し、老化を防ぐ効果があるポリフェノールを通常の小豆より豊富に含むことが分かっています。