ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
現在地 トップページ > 津幡町観光協会 > 蓮如上人三宝鳥霊地

本文

蓮如上人三宝鳥霊地

ページID:0006293 更新日:2025年2月25日更新 印刷ページ表示

津幡町倶利伽羅の南横根に、乗光寺ゆかりの碑が建っています。現在小矢部市にある乗光寺は、1220(承久2)年に相窪(あいくぼ)で創建され、第5世の時に南横根に移り、第11世の時に現在の地に移ったと伝えられています。相窪には、同寺の発祥地と墓参道が残っています。
乗光寺が南横根にあった頃、蓮如上人(れんにょしょうにん)が訪ねられると、境内の老梅(ろうばい)に霊鳥(れいちょう=神霊が宿るとされる鳥)が飛んで来て「念仏・念法・念僧」と鳴いたそうです。現在、村外れの丘に自然石の碑が2基建っており、「蓮如上人三宝鳥(さんぽうちょう)霊地」と刻まれています。
また、上人が食べた握り飯の梅干しを植えたのが芽生えて、大木になったといいます。後に台風で倒れ、現在のウメの木は2代目であるといわれています(倶利伽羅地区の伝説「三宝鳥霊地」の話より引用)。
1881(明治14)年に建立された同碑が建つ台地は乗光寺跡の一部と伝えられ、シイの大木と高さ約1メートルの土塁(どるい=土を積み上げて築いたとりで)の一部が残っています。同集落の南端にあるこの台地から、隣村の常徳と枡山峠(小矢部市)に向かう古道沿いに、かつて乗光寺があったとされています。その跡地から本尊の阿弥陀如来像(あみだにょらいぞう)が出土したとされる場所は、「仏田(ぶつでん)」と呼ばれています。
津幡町には、真宗王国北陸の基礎を築いた蓮如上人の布教の足跡が数多く残されています。なかでも、同地区の材木や笠谷の笠池ケ原には、上人が昼飯を食べる時に使ったハシにまつわる伝説が残っています。