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道番人屋敷跡

ページID:0006288 更新日:2025年2月25日更新 印刷ページ表示

津幡町竹橋(たけのはし)から倶利伽羅峠に伸びる歴史国道「北陸道」を挟んで、龍ヶ峰(りゅうがみね)城址公園の向かい側に「道番人(みちばんにん)屋敷跡」が残っています。現在、2戸の屋敷跡は龍ヶ峰城址公園の駐車場となっていますが、ほぼ原型で保存されています。
加賀藩は参勤交代(さんきんこうたい)の街道の整備、管理をする「道番人」という制度を設けました。1665(寛文5)年5月より道番人を1里(約4キロ)ごとに2人置き、給銀70目、居屋敷50坪を与えて、街道の掃き掃除、砂入れ、水落とし、雪割、並木の手入れなどをさせました。『河北郡史』には、1720(享保5)年に竹橋宿から倶利伽羅峠までの街道を、その途中「一騎討ち」と呼ばれる狭まった場所で二分し、龍ヶ峰(通称「城ヶ峰」)南麓の上藤又村から出た長助、茂兵衛の両家が担当したという記録が残っています。