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倶利迦羅不動寺西之坊鳳凰殿

ページID:0006273 更新日:2025年2月25日更新 印刷ページ表示

大師(こうぼうだいし)が建てたとされる七堂伽藍(しちどうがらん)と十二ヶ寺が建立されており、その復興事業の1つとして、1998(平成10)年10月10日に西之坊鳳凰殿が建てられました。台湾ヒノキを用いた左右75メートルもある壮大な木造建築は、平安時代の寝殿造りの様式を取り入れ、荘厳優雅な雰囲気を漂わせています。
中央の三仏堂では、倶利迦羅不動尊と同体の本尊を中心に、御前立(おまえだち)不動尊の両童子(りょうどうじ=不動尊の左右に立つこんがら童子とせいたか童子のこと)が祀(まつ)られています。右側の不動堂には、弘法大師が唐より帰られる際に、大嵐に遭い、不動尊に祈願されたところ、難を免れたという波切(なみきり)不動尊が安置され、交通安全祈祷殿とも呼ばれています。左側は阿弥陀堂といい、阿弥陀如来(あみだにょらい)が主尊となって、観音菩薩(かんのんぼさつ)などが祀られています。
鳳凰殿の境内には、春になると、色とりどりのツツジやボタンの花が見事に咲き誇る庭園があります。また、裏山には弥生時代末期の七野墳墓群(しちのふんぼぐん)があります。
◆万灯会(まんとうえ)
毎年8月15日には、先祖への供養として「万灯会(まんとうえ)」が営まれます。境内一杯に灯籠(とうろう)や灯明(とうみょう)が灯され、鳳凰殿全体が幻想的な世界に包まれます。
万灯会とは、有名な仏教説話「貧女の一灯(ひんにょのいっとう)」に由来します。仏様のお供えとして、貧しい女性が自らの大切な髪を断ち切り、灯明として捧げた一灯は、強風で他の灯明がほとんど消えてしまったにもかかわらず、女性の灯明だけは燃え続けました。
同寺境内の食堂では、倶利伽羅名物「倶利迦羅そば」をご賞味いただけます。