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倶利伽羅神社

ページID:0006270 更新日:2025年2月25日更新 印刷ページ表示

かつての宿場町、竹橋宿として栄えた津幡町倶利伽羅地区の竹橋(たけのはし)区にある倶利伽羅神社には、池田九華(いけだ・きゅうか)作「源平倶利伽羅合戦図屏風」が保存されています。四曲一双(よんきょくいっそう)の屏風の右隻(うせき)には、埴生八幡宮(はにゅうはちまんぐう)に戦勝祈願した木曽義仲(きそ・よしなか)や願文(がんもん)を書いた覚明(かくみょう=義仲の書記)などが右に、中央に描かれた巴御前(ともえ・ごぜん)と思われる騎上の女武者に対して慌てる平家陣地が左に描かれています。一方、左隻(させき)の右から中央にかけては、「火牛の計(かぎゅうのけい)」作戦で平家軍を倶利伽羅山の地獄谷に追い落とす源氏軍の様子、左には源氏軍に加勢した井家庄(いのうえのしょう)の武士、井家二郎範方(いのいえ・じろう・のりかた)が根上の松で討ち死にした戦いの様子が鮮やかに描かれています。
この屏風は津幡町英田(あがた)地区の能瀬出身の絵師、池田九華(1809〜1881年)が、長楽寺(ちょうらくじ)焼失の10年後に描いた作とされています。(「嘉永元年仲秋 應需 九華」と署名されています。)他の九華の作品として、1866(慶応2)年に描いた屏風絵馬が、能瀬区の山王神社に残っています。
同神社は長楽寺別当職にあった十握(とつか)氏が明治初頭に開いた神社で、祭神は木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)・火結命(ほむすびのみこと)・罔象女命(みずはのめのみこと)・埴山比ひ命(はにやまひめのみこと)・菊理比売命(くりひめのみこと)・伊弉諾命(いざなぎのみこと)、誉田別命(ほむたわけのみこと)です。
「倶利伽羅合戦図屏風」を見学されたい方は、事前に同神社までご連絡願います。尚、道の駅「倶利伽羅源平の郷」の案内棟にレプリカが展示されています。また、同屏風の一部を模写した「源平合戦大絵馬」が、同地区の九折(つづらおり)の白山神社に奉納されています。
四曲一双:4枚折りの屏風が2本で構成されている屏風。
右隻・左隻:屏風を数える時の単位で、向かって右側の屏風を右隻(うせき)、左側の屏風を左隻(させき)という。