馬洗い場跡

歴史国道「北陸道」沿いにあったかつての「馬洗い場跡」

歴史国道「北陸道」沿いにあったかつての「馬洗い場跡」

 津幡町の倶利伽羅峠から下った歴史国道「北陸道」沿いにある山森集落には、藩政期に作られたと思われる「馬洗い場跡」が残っています。周辺に地下水が湧き出る山森村や倶利伽羅村では、かつて旅人の休憩地として茶屋が軒を並べていました。倶利伽羅村では、天正年間に前田利家(まえだ・としいえ)から領内の安値の米を買い入れ、馬背に付けて売り払う牽売馬(けんばいうま)稼ぎの特権を与えられていました。
 その関係からか、山森集落から200メートルほど西の沿道に、湧き水を利用し、岩場を掘って作った2間(3.6メートル)×4間(7.2メートル)ほどの馬洗い場がありました。おそらく、牽売馬や伝馬(てんま)の飲み水や馬を洗うために作ったものと思われます。数10年前まで使用されていましたが、土砂崩れで湧き水が埋まってしまい、現在は竹藪や草で覆われ、遺構(いこう)も湧き水も確認できません。村人の話では、昔は馬に水を飲ませたり洗ったりするために、村人がよく利用するのを見かけたそうです。
 山森集落の主要道から歴史国道「北陸道」に入る角には、かつての茶屋だった古民家が今も残っています。1年の半分は雪に埋もれるという集落では、秋も深まると、雪囲いをした民家があちこちに見られます。
牽売馬稼ぎ:街道筋の村々が農耕馬に越中今石動などからの米を付けて、金沢へ運び駄賃を稼ぐこと。
伝馬:幕府の公用をこなすために宿駅で馬を乗り継ぐ、その馬のこと。公用の書状や荷物を、出発地から目的地まで同じ人や馬が運ぶのではなく、宿場ごとに人馬を交替して運ぶ。

所在地 〒929-0414 石川県河北郡津幡町字山森
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アクセス IR津幡駅から「津幡駅前」交差点を右折し、県道59号線に入ります。「白鳥橋詰」交差点を右折し、「浅田陸橋」を越えると、「浅田」交差点に出ます。そこを左折し、倶利伽羅方面に進み、「坂戸」交差点を過ぎると、「倶利迦羅不動寺3km」の案内版が立つ三叉路に出ます。そこを右折し、倶利伽羅峠に続く上り坂を進んでいくと、山森に着きます。集落入口で歴史国道「北陸道」の案内版が立つところを右折し、旧北陸道に入ります。200メートルほど行った街道沿いの右側に、かつての「馬洗い場跡」がありました。



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