手向神社石堂神殿

津幡町指定文化財「手向神社石堂神殿」

津幡町指定文化財「手向神社石堂神殿」

 津幡町の倶利迦羅不動寺境内にある手向(たむけ)神社は、古くは747(天平19)年の『万葉集巻17』、898(元慶2)年の歴史書『日本三代実録』に「手向の神」と記されています。『万葉集巻17』では、大伴池主(おおとものいけぬし)が大伴家持(おおとものやかもち)から贈られた別離の歌に答えた長歌の中で、「刀奈美夜麻(となみやま)多牟氣秤ツ味个(たむけのかみに)奴佐麻都里(ぬさまつり)」と「手向の神」を詠んでいます。この長歌を含め、池主の万葉歌碑が3基、倶利伽羅山山頂にある倶利伽羅公園に建っています。当時、倶利伽羅峠を越える旅人が道中の無事を祈るために、祠宇(しう=やしろ)を設けて神を祀ったのが手向神社の起源と考えられています。
 「手向の神」は、不動信仰と習合して長楽寺(ちょうらくじ)となっていましたが、明治元年の神仏分離令により、長楽寺は廃され、手向神社となりました。神功皇后(じんぐうこうごう)・素盞嗚命(すさのおのみこと)を祭神とする神社です。
 本殿は1614(慶長19)年、加賀藩3代藩主前田利常(まえだ・としつね)が兄利長(としなが)の病気平癒を祈願して寄進した長楽寺不動堂で、のちに護摩堂になっていた9尺(約273センチ)四方の石堂神殿です。1972(昭和47)年建立の木造神殿内に移築、安置されました。
 越前笏谷(しゃくだに)石製の建築物で、柱・屋根・棟など重厚な造りになっており、彫刻も入念に造作されているなど、すぐれた建築がなされています。石川県では遺存例のない貴重な建築物であり、きわめて希少価値の高いものです。
 歴史国道「北陸道」に面する倶利迦羅不動寺の参道入口には、同神社の鳥居が建っています。神仏習合時代の名残を留めるこの鳥居は、2本の主柱を4本の稚児柱で支える「両部鳥居(りょうぶとりい)」で、神仏習合の神社に多く見られるものです。
◆1998(平成10)年4月20日 津幡町文化財(建造物)指定
 一説によると、木曽義仲(きそ・よしなか)が同神社に刀を奉納したと伝えられていますが、現在この刀は残っていません。第2次世界大戦中の金属類回収令によって軍に没収されたか、あるいは戦後の混乱期に盗難に遭い紛失したそうです。

所在地 〒929-0413 石川県河北郡津幡町字倶利伽羅リ1
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アクセス IR津幡駅から「津幡駅前」交差点を右折し、県道59号線に入ります。「白鳥橋詰」交差点を右折し、「浅田陸橋」を越えると、「浅田」交差点に出ます。そこを左折し、倶利伽羅方面に進み、「坂戸」交差点を過ぎると、「倶利迦羅不動寺3km」の案内版が立つ三叉路に出ます。そこを右折し、倶利伽羅峠に続く上り坂を進んでいくと、山森集落の入口で、この坂道は歴史国道「北陸道」と重なり、倶利伽羅山頂まで続きます。山森、倶利伽羅の集落を過ぎると、左手に「手向神社」の鳥居と「倶利迦羅不動寺」入口が見えます。街道を挟んで向かい側には、「倶利迦羅不動寺」の駐車場があります。



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