キーワード【津幡町文化財】で検索した結果

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白鳥神社の祈雨祭資料
 津幡町津幡地区の加賀爪区にある白鳥(しらとり)神社は、加賀爪の産土神であるばかりでなく、古くは井家庄(いのうえのしょう)の総社として仰がれ、広く崇敬を集めてきました。祭神は日本武尊(やまとたけるのみ.....続きを見る>>

白鳥神社の祈雨祭資料
津幡城跡
 津幡城跡は津幡川の右岸、かつての宿場町、津幡宿があった旧北陸道を見下ろす小高い丘陵地にあります。ここは津幡小学校旧校舎の敷地内だったため、残念ながら遺跡はほとんど残っていませんが、標高15メートルの.....続きを見る>>

津幡城跡
為広塚
 旧北陸道を見下ろす津幡城跡に建つ河合見風(かわい・けんぷう)句碑の隣に、為広(ためひろ)塚が建っています。為広塚は元々、津幡城跡の東麓にある清水八幡神社境内に隣接してありましたが、1963(昭和43.....続きを見る>>

為広塚
出雲神社のスダジイ
 津幡町英田(あがた)地区の種区に、スダジイの原生林で有名な出雲神社があります。同神社の祭神は、素戔嗚尊(すさのおのみこと)・伊邪那美尊(いざなみのみこと)です。境内には近郷近在の若衆が力自慢を競った.....続きを見る>>

出雲神社のスダジイ
鳥越弘願寺跡のハリギリ・アテ
 津幡町笠谷地区の鳥越弘願寺(とりごえぐがんじ)跡にある大黒主(おおくにぬし)神社の西側から南側にかけて、L字型に土塁(どるい=土を積み上げて築いたとりで)が残っています。その土塁の上に、弘願寺の頃か.....続きを見る>>

鳥越弘願寺跡のハリギリ・アテ
秀雅上人堂
 長楽寺(ちょうらくじ)の中興の祖と称される秀雅上人(しゅうがしょうにん)は、1547(天文16)年に倶利伽羅の百姓左兵衛の子として生まれ、幼少の頃から越中の安居寺(あんごじ)の秀海阿闍梨(しゅうかい.....続きを見る>>

秀雅上人堂
七野墳墓群
 津幡町倶利伽羅地区の竹橋(たけのはし)区にある倶利迦羅不動寺西之坊鳳凰殿(にしのぼうほうおうでん)の裏山に、七野墳墓群(しちのふんぼぐん)があります。全12基から成る弥生時代末期の遺跡で、2・3・4.....続きを見る>>

七野墳墓群
教願寺梵鐘
 津幡町倶利伽羅地区の竹橋(たけのはし)区に、梵鐘(ぼんしょう)で有名な教願寺(きょうがんじ)があります。かつての竹橋宿は、加賀藩の参勤交代の宿場町として栄え、村の真ん中を歴史国道「北陸道」が走ってい.....続きを見る>>

教願寺梵鐘
加賀神社
 津幡町中条地区の潟端(かたばた)区にある加賀神社は、加賀藩5代藩主前田綱紀(まえだ・つなのり)を祀(まつ)った神社で、かつては津幡町内における最高社格(県社)を有していました。同神社の祭神は、健御名.....続きを見る>>

加賀神社
大国主神社の宝塔
 津幡町笠谷の鳥越弘願寺(とりごえぐがんじ)跡にある大黒主(おおくにぬし)神社境内には、中世の宝塔(ほうとう)が残っています。安山岩でできた宝塔は、相輪(そうりん)の上部が欠失したため、現在の高さは1.....続きを見る>>

大国主神社の宝塔
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