ジャンル 【史跡・遺跡】 で検索した結果

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杉瀬墓地の三十三観音
 江戸時代末期に倶利迦羅不動寺までの道標と旅人の安全を祈願して、倶利伽羅峠の沿道に三十三観音像が安置されていました。そのうちの3体は、杉瀬集落の旧北陸道沿いに安置されていました。明治初年の神仏分離令に.....続きを見る>>

杉瀬墓地の三十三観音
御門屋敷跡と龍ヶ口井戸跡
 津幡町英田(あがた)地区の能瀬、御門(みかど)の両区は順徳上皇(じゅんとくじょうこう)ゆかりの地で、それにまつわる伝説が残っています。  1221(承久3)年、承久(じょうきゅう)の乱に敗れた順徳.....続きを見る>>

御門屋敷跡と龍ヶ口井戸跡
禁酒の碑
 津幡町河合谷地区の上河合区の旧小学校前に建つ「禁酒の碑」は、1926(大正15)年に当時の河合谷村長であった森山忠省(もりやま・ちゅうしょう)氏の提唱で、老朽化した河合谷小学校の改築費45,000円.....続きを見る>>

禁酒の碑
潟端のシイノキ
 かつて蓮湖、あるいは大清湖と呼ばれた河北潟では、潟を埋め立てて農地に切り開こうという試みが、小規模ながらも古くから何度も繰り返されてきました。津幡町潟端(かたばた)の地名は、河北潟の縁を干拓(かんた.....続きを見る>>

斉藤不染の碑
 津幡町中条地区の潟端(かたばた)区の集落入口に、村の窮状を救った斉藤不染(さいとう・ふせん)の顕彰碑(けんしょうひ=功績や善行などを称えるために立てられる石碑)が建っています。不染は1832(天保3.....続きを見る>>

斉藤不染の碑
中橋久左衛門の碑
 津幡町中条地区の浅田区に、灌漑用水の設置に尽力した中橋久左衛門(なかばし・きゅうざえもん)の顕彰碑(けんしょうひ=功績や善行などを称えるために立てられる石碑)が建っています。久左衛門は江戸時代中期の.....続きを見る>>

庭田次平の碑
 津幡駅前ロータリーに、同駅開設に尽力した庭田次平(にわた・じへい)の顕彰碑(けんしょうひ=功績や善行などを称えるために立てられる石碑)が建っています。次平は1858(安政5)年に津幡南中条で生まれ、.....続きを見る>>

庭田次平の碑
刈安・上野堂畑遺跡
 津幡町倶利伽羅地区の上野(うわの)区から刈安(かりやす)区にかけて、通称「堂畑(どうばたけ)」と呼ばれる畑地に、縄文(じょうもん)時代の遺跡が発見されましたが、現在は水田として整備され、その痕跡は全.....続きを見る>>

刈安・上野堂畑遺跡
馬洗い場跡
 津幡町の倶利伽羅峠から下った歴史国道「北陸道」沿いにある山森集落には、藩政期に作られたと思われる「馬洗い場跡」が残っています。周辺に地下水が湧き出る山森村や倶利伽羅村では、かつて旅人の休憩地として茶.....続きを見る>>

馬洗い場跡
喜多市十郎の碑
 津幡町の旧家「新田家」は、代々笠谷地区倉見村の十村(とむら)を務めた名家です。新田家の祖、喜多市十郎(きた・いちじゅうろう)は新田義貞(にった・よしさだ)の三男、義宗の子孫で、その義宗が伊予国喜多郡.....続きを見る>>

喜多市十郎の碑
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