鳥越弘願寺跡

城郭寺院の面影を強く残す「鳥越弘願寺跡」

城郭寺院の面影を強く残す「鳥越弘願寺跡」

 津幡町笠谷地区の鳥越弘願寺(とりごえぐがんじ)は、1350(観応元)年に本願寺三世の覚如(かくにょ)の直弟子である玄頓(げんとん)によって建立されたといわれています。笠野川の流域に開けた小盆地の入口に位置し、小高い丘陵を背に、三方を高さ5メートルほどの土塁(どるい=土を積み上げて築いたとりで)で固められ、倶利伽羅峠を越える他国の勢力を防ぐ重要な役割を担っていました。
 北加賀における一向宗の最初の拠点と考えられ、1488(長亨2)年の加賀一向一揆(いっこういっき)の頃には城塞化していました。その後、1580(天正8)年に織田信長(おだ・のぶなが)勢の佐久間盛政(さくま・もりまさ)が能登の末森城攻略の途中、弘願寺を陣営にしようとしましたが断られたため、弘願寺を焼き払ったと伝えられています。その後、弘願寺は1609(慶長14)年に津幡町加賀爪に移転し、現在に至っています。
 現在見られる弘願寺跡は、一向一揆の頃の城郭(じょうかく)寺院の面影を強く残し、全国的に類例のない優れた遺跡です。土塁に囲まれた中心部の平坦地には、現在、大国主(おおくにぬし)神社が鎮座し、御屋敷(おやしき)跡といわれています。ため池跡や蓮田(はすだ)、切谷(きりだん)などといわれる場所も残っています。また、この弘願寺をとりまく防御施設として、鳥越タテヤマ砦跡、鳥越城跡、田屋御前山(たやごぜんやま)砦跡、鳥屋尾(とりやお)ノナカ砦跡、鳥屋尾シバンニャ砦跡の各遺跡が確認されています。
◆1989(平成元)年4月1日 津幡町文化財(史跡)指定

所在地 〒929-0465 石川県河北郡津幡町字鳥越
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アクセス 津幡町市街地から県道218号線を鳥越方面に進み、笠野トンネルを抜けて七黒に入ると、右手に「JA石川かほく津幡東支店」がある交差点に出ます。その交差点を直進すると、左手に「鳥越弘願寺跡」の案内板が見えます。そこを左折し、50メートルほど進むと、左側に「鳥越弘願寺跡」があります。



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