龍ヶ峰城址公園

上空から見た「龍ヶ峰城址公園」

上空から見た「龍ヶ峰城址公園」

 標高194メートルの龍ヶ峰(りゅうがみね=通称「城ヶ峰」)に築かれた龍ヶ峰城は、加越国境の倶利伽羅峠を通る歴史国道「北陸道」沿いにありました。古来から交通の要衝であった津幡では、中世から近世にかけて一向一揆(いっこういっき)や、前田利家(まえだ・としいえ)と佐々成政(さっさ・なりまさ)との戦いなど戦渦に巻き込まれることが多く、こうした歴史的背景の中で、龍ヶ峰城は一向宗や佐々成政勢の城として活用されてきました。
 築城年月は不明ですが、加賀一向一揆の勢力が加越国境の倶利伽羅峠を通る北陸道を抑えるために築いたとされています。最初は一向一揆に加担する土豪、村上右衛門(むらかみ・うえもん)が在城しますが、1573(天正元)年に上杉謙信(うえすぎ・けんしん)が攻め落とし、後に佐々成政の属城となり、最後は前田利家の弟前田秀継(まえだ・ひだつぐ)・利英(としふさ)父子が攻略し、加賀藩前田家の属城となりました。
 一番高い主郭と北陸道との比高差は、約25メートルあり、砦(とりで)を築くには理想的な地形でした。南北約200メートル、東西約150メートルと決して大きな城ではありませんが、堀切(ほりきり)や狭く造られた入口(虎口=こぐち)など、さまざまな防備施設跡が残っています。遺構(いこう)の保存状態も非常に良く、北陸道と城の関係など津幡町の歴史を考える上で重要な城跡です。500坪ほどの山頂には3段の段郭が配置され、2段目に湧き水があったといわれますが、現在は確認できません。この湧き水の存在は、戦いの時だけに使われた城ではなく、兵が常駐していたのではないかと考えられます。
 同公園は2005(平成17)年4月に城址公園として整備され、山頂までの遊歩道や主郭跡には休憩所が設けられています。街道を挟んで同公園の向かい側には、かつての「道番人(みちばんにん)屋敷跡」であった駐車場があり、トイレも完備されています。山頂の展望台からの眺望は絶景で、立山、白山連峰、河北潟や内灘砂丘などが一望できます。花見や紅葉の季節に、同公園でハイキングを楽しんでみませんか?
◆2005(平成17)年4月1日 津幡町文化財(史跡)指定
堀切:地面を掘って切り通した水路。
虎口:城郭や陣営などの最も要所にある出入り口。
遺構:昔の都市や建造物の形や国「を知るための手がかりとなる残存物。

所在地 〒929-0414 石川県河北郡津幡町字山森
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アクセス IR津幡駅から「津幡駅前」交差点を右折し、県道59号線に入ります。「白鳥橋詰」交差点を右折し、「浅田陸橋」を越えると、「浅田」交差点に出ます。そこを左折し、倶利伽羅方面に進み、「坂戸」交差点を過ぎると、「倶利迦羅不動寺3km」の案内版が立つ三叉路に出ます。そこを右折し、倶利伽羅峠に続く上り坂を進んでいくと、山森に着きます。集落入口で歴史国道「北陸道」の案内版が立つところを右折し、旧北陸道に入ります。山あいに向かって街道を進むと、左側に「道番人屋敷跡」である「龍ヶ峰城址公園」の駐車場があります。駐車場にはトイレも設置されています。そこから街道を少し下った右側に、「龍ヶ峰城址公園」入口があります。街道を挟んで向かい側一帯は、「龍ヶ峰城址公園」となっています。



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