御旅屋跡

本陣「御旅屋」があった津幡川左岸

本陣「御旅屋」があった津幡川左岸

 津幡町津幡地区の加賀爪区のおやど商店街は、かつての宿場町、津幡宿があった旧北陸道沿いにあります。当時はおやど橋を中心に、津幡川右岸には茶屋や木賃宿、馬屋などが立ち並び、対岸の左岸には本陣(ほんじん)や旅籠(はたご)、商家などが軒を連ねていました。その一角に本陣の御旅屋(おたや)がありましたが、1877(明治10)年の大火で焼失し、その広大な屋敷跡(約4,500平方メートル)は、残念ながら当時の面影は全く残っていません。津幡宿の本陣を務めた松本家が御旅屋に指定され、幕末まで十村(とむら)に準ずる役割を担いました。この御旅屋にまつわる伝説が残っています。
 加賀藩初代藩主前田利家(まえだ・としいえ)が末森城の戦いのため津幡城へ入ると、松本甚之丞(まつもと・じんのじょう)の母が搗臼(つきうす)・杵(きね)・搗栗(かちぐり)を利家に差し上げて戦いの幸運を祈りました。利家はその機転に感心して、老母に何か望みはないかと尋ねたところ、老母は「土地が欲しい」と答えました。そこで利家は「それではお前の望みどおりに土地を与えるから、走れるだけ走ってみなさい。走れたところまでの土地を与えよう」と答え、言葉どおりに走れただけの土地を与えました。その上、その子甚之丞を御旅屋守にしたということです(津幡地区の伝説「甚之丞の母・おやど島の由来」の話より引用)。
 御旅屋の屋敷の奥に大きいシイノキがあって、魔物が住んでいたそうです。時々、白ヒゲの老人となって清掃に出たり、重大なお触れが来る前には奥の間で朗々とした謡曲が聞こえたり、時には悪戯をして幼児を隠したりしました。
 ある時、囲炉裏端(いろりばた)に寝かしておいた子供が見えなくなりました。腹を立てた母親がシイノキに向かって、「こんな悪さをするなら、今日かぎりお宿を断る。さっさとこの木から出ていって欲しい」とわめきたてました。それが魔物に通じたのか、また元通り、囲炉裏端に子供はすやすやと眠っていたそうです(津幡地区の伝説「御旅屋」の話より引用)。
 当時の面影を残すおやど商店街には、河合見風(かわい・けんぷう)宅跡「長寿庵」や、商家「八尾屋(やつおや)」の古民家が今も残っています。
御旅屋:江戸時代の加賀藩で藩主の鷹狩り、民情視察の際に宿泊や休憩のために使用された施設のこと。参勤交代の際にも、宿泊施設として使用されていた。
十村:他藩でいう大庄屋に相当するもので、加賀藩の村支配を代行する村役人組織の頂点に立つ役職。

所在地 〒929-0325 石川県河北郡津幡町字加賀爪
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アクセス IR津幡駅から「津幡駅前」交差点を曲がらずに直進し、次の「南中条」交差点を右折し、旧北陸道の町道に入ります。そのまま直進し、「加賀爪」交差点を過ぎた所から、正面に見える「おやど橋」手前までが「おやど商店街」です。「御旅屋」はその一角、「おやど橋」手前の左側一帯を占めていました。



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