刈安・上野堂畑遺跡

縄文遺跡が発掘された「刈安・上野堂畑遺跡」

縄文遺跡が発掘された「刈安・上野堂畑遺跡」

 津幡町倶利伽羅地区の上野(うわの)区から刈安(かりやす)区にかけて、通称「堂畑(どうばたけ)」と呼ばれる畑地に、縄文(じょうもん)時代の遺跡が発見されましたが、現在は水田として整備され、その痕跡は全くありません。
 1905(明治38)年に畑地を開墾(かいこん)した時に、多数の縄文土器の破片や石斧(せきふ)、石鏃(せきぞく)、石棒(せきぼう)、人骨が出土しました。その後、1921(大正10)年に福井の郷土史家、上田三平(うえだ・さんぺい)が石川県の史蹟名勝天然記念物の調査のために来県され、翌1922(大正11)年4月24・25日の2日間に渡り、県下最初の実地試掘(しくつ)調査が行われました。
石斧:斧(おの)の刃に用いた石器。打製と磨製とがある。日本では旧石器時代から弥生時代まで見られる。
石鏃:矢じりとして用いられた石器。日本では縄文・弥生時代に見られる。
石棒:縄文時代、棒状の一端または両端に丸く膨らみをつけた磨製石器。儀礼・祭祀(さいし)用と考えられている。

所在地 〒929-0405 石川県河北郡津幡町字上野
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アクセス IR津幡駅から「津幡駅前」交差点を右折し、県道59号線に入ります。「白鳥橋詰」交差点を右折し、「浅田陸橋」を越えると、「浅田」交差点に出ます。そこを左折し、倶利伽羅方面に進むと、「くりから駅前」交差点に出ます。そこを左折すると、正面にIR倶利伽羅駅が見えます。そこを左折し、陸橋を渡り、上野方面に進みます。集落入口のY字路手前を右折し、道なりに坂道を上っていくと、かつての「刈安・上野堂畑遺跡」があった水田が広がる高台に出ます。



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